山田幸代のhappy対談

Happy対談は、プロラクロスプレイヤー山田幸代がアスリートとして大切にしていることを発信するプラットフォームです。スポーツ界で活躍されている方々にフォーカスし、生き方やHappy哲学について対談を行い、スポーツを通して世の中をどのようにHappyにするかをアスリートと共に考え、発信していきます。

Vol.3

第3回の対談相手は、2011年FIFA女子ワールドカップで優勝した“なでしこジャパン”のメンバー、近賀ゆかり選手です。リスペクトし合う山田幸代とは同世代で、出会ったときから意気投合。対談では、女性アスリートとして目指すところが一致したようです。共に海外でのプレー経験を持つ、トップアスリートの2人が起こそうとしているムーブメントとは。

Profile

山田 幸代 (やまだ さちよ)
プロラクロスプレイヤー

1982年生まれ。滋賀県出身。日本初のプロラクロッサー。2007年9月にプロ宣言し、2008年から女子ラクロス界では世界トップクラスのオーストラリアリーグに加入。2016年12月、念願のオーストラリア代表に選出され、2017ワールドカップ、2017ワールドゲームズに出場。ワールドゲームズでは銅メダルを獲得。2013年4月から母校・京都産業大学の広報大使、2014年12月から京都国際観光大使を務めている。

近賀ゆかり(きんが ゆかり)
プロサッカープレイヤー

1984年生まれ。神奈川県出身。中学校入学時に横須賀シーガルズFCに入団、全国大会で2回優勝。湘南学院高等学校時代は、全日本高等学校女子サッカー選手権大会で準優勝2回。AFC U-19女子選手権で優勝、FIFA U-19女子世界選手権でベスト8を経験。日本体育大学に進学した2003年、日テレ・ベレーザに入団、新人賞獲得。その後、INAC神戸レオネッサ、アーセナル・レディースFC、キャンベラ・ユナイテッドFC、杭州女子倶楽部、メルボルン・シティWFCでプレーする。2019年2月、オルカ鴨川FCに移籍。北京オリンピック、ロンドンオリンピック日本代表。2007年、2011年、2015年のFIFA女子ワールドカップ日本代表。

海外で感じた日本との違い

山田:近賀さんとは、共通の知り合いを通してお話を伺っていて、10年くらい前からずっとお会いしたいと思っていました。ようやく最近その願いが叶い、今日はこうして対談できる機会をもててうれしいです。

近賀:私も、山田さんとは会っていろいろお話ししたいと思っていて、やっと会えたという感じです。

山田:近賀さんも、私と同じくオーストラリアでプレーされた経験がありますが、日本との違いを感じたことはありますか?

近賀:日本ではきれいなサッカーが好まれているんだ、というのが最初に感じたことです。海外では「こんなこともできないの?」と思うようなレベルの選手が、試合でバンバンシュートを決めて勝利に貢献するんです。自分が見ていたサッカーの世界は狭いなと思いました。世界にはいろいろなサッカーがあって、チームによっても、国によっても違うことを知り、試合に勝つためには何が一番必要かを考えるようになりました。

山田:海外の選手って、試合になると目が変わるんですよね。これは、日本の選手には感じたことがありませんでした。オーストラリアでポジション争いをしていく中で、それまでとは私を見る目が変わったと感じたとき、「やっと同じ勝負の舞台に立てたんだ」と思いました。世界に勝つためには、相手をこの目にさせなきゃいけない、というのが最初に感じたことですね。
日本って、強い海外チームとの練習試合でいい勝負をすると、「手応えあったね」となるんですが、それは勘違いで、実は同じ勝負の舞台にすら立っていないんです。相手からGood jobと言われているうちは格下に思われている、Nice gameと言われたら手強かったと思われているということを海外チームとの戦いで学びました。
日本代表の選手として、初めて海外チームと試合したときのことは覚えていますか?

近賀:初めての相手はオーストラリア代表だったんですが、想像していた以上にスピードとパワーが自分たちとかけ離れていて、衝撃でした。

山田:オーストラリアの選手って、体が大きいのにスピードがありますよね。日本のトレーニングと全然違って、体を大きくするところから始まるんです。私は、まず7kg増やせと言われて、1日のうちにポテトを何g、お肉を何百g食べなさいなどと書いてあるミールプランを渡されました。日本みたいに食事制限をして体を絞るんじゃなくて、何をどれだけ食べるかというプランなんです。食べて、ウエートトレーニングをして体を大きくしてから、その大きな体をどうやって俊敏に動かすかというトレーニングが組まれます。だから、体が大きいのにスピードがあるんです。

近賀:私は、体が大きな選手と対等に当たってしまうと勝てないので、いかに当たらずにボールを奪うか、相手のスピードに対応するために何手か先を越すための準備をするといった、相手が持っていない技術で戦う意識が強いので、あまりウエートトレーニングはしていません。
体を大きくしたら俊敏に動けなくなったけど、当たったときに勝てるようになったという選手もいますし、体づくりに関する考え方は、ポジションやスポーツによって異なりますね。

勝つためのチームビルディング

山田:ワールドカップで優勝したときの“なでしこジャパン”が試合を重ねていく中で、チームの雰囲気が変わったり、ターニングポイントになったりしたことはありましたか?

近賀:あの大会のメンバーは個性豊かな選手が多くて、まとまるのが難しかったんです(笑)。でも、個性が豊かだから得意なことがはっきりしていて、それぞれ得意なところを任せる、苦手なところはみんなで補うという構図ができていたと思います。
あとは、スターティングメンバーは11人なので、サブの選手にはどうしても悔しい気持ちがありますが、その悔しさを出さずに、チームのためのサポートに徹してくれたことが優勝できたポイントの一つですね。

山田:控えや下部の選手がチームのために貢献できることを考えなかったり、なぜ私が出られないんだと自分のことしか考えていないと、勝てないんですよね。これってチームビルディングにおいてすごく大事だし、難しいことでもありますね。

近賀:私たちの場合、強豪国がたくさんいて、最大限に準備しないと勝てない、サブとかスタートとか言っていられない状況でした。なかなかできないことですが、出てくる課題に対して、同じポジションのライバル同士で話し合って解決していたのも大きかったと思います。

山田:チーム内では、近賀さんはどんな役割を担っていたんですか?

近賀:澤さんや宮間選手といったスター選手とサブの選手とか、今考えると、いろいろな選手同士をつなげる役だったと思います。

オーストラリア卵事件

山田:海外で、アジア人ゆえのつらい思いをしたことはありますか?私は卵を投げつけられたことが3回もあるんですよ。オーストラリアに行って2年目、選手たちは私が本気でポジションを取りに来ていることに気づいて、1年目はお客さん扱いだったのが、どんどん蹴落とそうとしてくるんです。アイシングで席を外している間に監督が言ったことを教えてもらえなかったり、スパイクを隠されたり。しまいには、チーム内での私のポジションが上がってきていることに気づいたファンから、試合後に卵を投げつけられました。
親友になったチームメートは、「卵には、黄色人種は白人の外には出られないという意味があるんだよ。だから、同じ舞台に立ったと認められたと思って頑張れ」と言ってくれました。私も、卵が割れたのは、黄身が白身の外に出たってことだと前向きに考えるようにしました。

近賀:本当にそういうことがあるんですね。

山田:その経験が悔しくて、だからこそ上に行きたい、この人たちを認めさせたいという思いで頑張っていくうちにMVPをもらい、州代表のキャプテンになり、オーストラリア代表にもなれました。そこまで8年以上かかりました。18人の代表を選ぶとき、1回目は20人にまで選ばれながら最後の選考で落ちたんです。監督に、「Sachiはポジションを争っていたもう一人よりも少しレベルが高い。でも、タイムアウトの90秒間に俺が英語で言うことを100%理解できるか?」と聞かれて、100%は無理かもしれないと答えると、「そこなんだよね。言葉の壁があると、Sachiの方がレベルが上でも、俺たちはオーストラリアの選手を連れて行く」と言われました。そこで気づいたのが、選ばれようとしていたら駄目なんだ、選ばせるようにならないと、チームに必要な選手と思ってもらえるようにならなければということでした。

近賀:山田さんはメンタルが強くて、日本人アスリートの中でも他にいないタイプですよね。サッカーは、自分がその日少し調子が悪くても、周りの人がカバーしてくれたら結果は出るし、私はそれほどメンタルが強くないので、団体競技で良かったなと思います。
これで勝てばオリンピック出場が決まるという試合で、私のミスで失点して引き分けになって、自力で出場獲得できなかったことがありました。自分たちの出場がかかった他国の試合をホテルの部屋で見ていたんですが、1人、2人と集まって来てくれて。みんな、責任を感じている私の気持ちを分かっていたんです。団体競技のいいところですね。

やり切るまでは現役続行

山田:この対談は「ハッピーゾーン」というのをテーマにしているんですが、プレーにのめり込んでいるような瞬間、自分の能力を発揮できているなと感じる瞬間ってありますか?

近賀:自信を持ってプレーできているときは、何も考えなくても上手くいきます。何かしら不安を抱えたまま試合に臨むと、やっぱりいいことはありません。あれこれと深く考えない方が楽しくサッカーができますね。

山田:不安な状態をなくすためのルーティンはありますか?

近賀:試合前に絶対にこれをするというのはなくて、サッカーの映像を観ていいイメージを持ったままだと、かえって上手くいかないので、サッカーとは関係ないテレビドラマを観たりしてリラックスします。

山田:私はベンチにいると、「自分だったらこうするのに」という視点に変わってしまって、プレーしたくなっちゃうんですが、それって監督として良くないと思っていて。自分がハッピーゾーンに入ったのを感じて、「違う、今は他を見なきゃ」と思ったとき、フィールド上のいろいろな情報が目に入ってきます。ハッピーゾーンに入る前の瞬間に気づくようになって、これはまだ現役を続けないと駄目だなと思い、今年の9月から、10年ぶりに日本のリーグに復帰することを決めました。
澤穂希さんは、引退してからボールを蹴っていないと聞いたことがあるんですが、それくらいやり切ったということですよね。スティックを持ってこうしたい、ああしたいと思う間は引退できないと思っています。

女子スポーツの価値向上のために

山田:2011年のワールドカップで優勝してから注目度は一気に上がったと思いますが、その後、女子サッカーを取り巻く環境はどう変化しましたか?

近賀:私たちは、今も女子サッカーはメジャースポーツではないと思っています。あのときは東日本大震災の後ということもあって、本当にたくさんの人が応援してくださったし、帰国したときの空港はものすごい数の人とカメラで、自分たちが出した結果はこんなにすごいことだったのかと驚きました。女子サッカーを取り扱ってくれるテレビ番組も少しずつ増えましたが、盛り上がっているのは今だけで続かないだろうなと思っていたんです。
あれから9年経って、あのとき自分たちが何かしていたらいい状態が保てたんじゃないか、もっと行動するべきだったと考えるようになりました。今でも働きながらプレーしている代表選手はいますし、予算が厳しいチームもたくさんあります。これはとても残念なことで、自分たちの反省でもあります。チームや協会に頼り過ぎていて、女子サッカーを盛り上げるのは誰かがやってくれる、やってくれなかったから盛り上がらなかったとどこかで思っていて。一番行動しなきゃいけなかったのは、選手自身だったかもしれません。

山田:メジャーかどうかの基準って難しいですが、ラクロスは日本だとテレビドラマ『じゃじゃ馬ならし』の影響もあって、女子のファッショナブルなスポーツというイメージがありますが、世界的には男子の方が人気で、ワールドカップに出てくるチームも男子63ヶ国に対して、女子は40ヶ国ほどなんです。世界的にも女子ラクロスの知名度、人気度をもっと上げていきたいですね。

近賀:今年の女子ワールドカップで優勝したアメリカチームが、男子選手と対等な賃金を求めて声を上げてくれましたが、これはサッカーだけでなく、全ての女性アスリートにとって大きな出来事でした。日本代表もあれだけのことを言える立場にしたいというのもありますし、女子サッカーの価値を上げて、観ていて楽しい、プレーしてみたい、応援したい、サポートしたいと思ってもらえるような存在になれたらと思います。

山田:スポーツの価値をどうやって上げていくかは大事なことで、アメリカ代表の行動はいい見本になると思います。何か行動することで、周りも一緒に前へ進んでいける、そういうチャンスをアスリートがつくれたらかっこいいですね。
最後に、今後の目標を聞かせていただけますか?

近賀:今在籍しているチームを1部に昇格させることです。そのために日本に帰ってきたというか、そういう覚悟を持って帰って来ました。自分がチームを勝たせるレベルにいるかどうか試されているとも思うので、必ず達成したいですね。

山田:めちゃくちゃ応援します。私は、ラクロスをたくさんの子どもたちに知ってもらう環境をつくりたいという夢を持っていて、2028年のロサンゼルスオリンピックでの正式種目採用に向けて、興味を持ってもらえるスポーツに変化させていくことが課題です。今は、アジアとオセアニアの現状を知って、もっと視野を世界に向けて、私にできることを整理するべき時期だと考えています。

近賀:もう一つ、この対談で新しい目標ができました!女子サッカーの価値を向上させて、女子スポーツ全体を盛り上げていくには、横のつながりも大事ですよね。例えば、サッカーとラクロスでイベントをやって、ラクロスを知らない子どもがラクロスを経験する、ラクロスをやっている子どもがサッカーを経験する、プロになるとかならないではなく、純粋にスポーツを楽しめる機会をつくる、他の競技と力を合わせることで両方の価値が上がる、子どもも大人もハッピーになれることをしたいですね。

山田:いいですね!女子スポーツの価値向上のために、他のスポーツの女性アスリートたちとも連携して、一緒にムーブメントを起こしましょう!

Message

オーストラリアでプレーをしていた経験を持つ近賀選手と、ようやくこのような対談の機会をいただき、本当に嬉しく思っています。
近賀選手は国内外で団体競技を自ら楽しみ、それを自身の力へと変えていくパワーを持つ選手だと、今回の対談を通じて強く感じました。また、自分への力の入れ方、また抜き方を良く理解し、上手く自分自身と向き合えていることに、アスリートとして大変リスペクトしています。歳は、私より少しだけ下ですが(笑)、常に彼女が目指す自身への目標設定と、実行力にこれからも学ばせてもらいたいと思います。
近賀選手のおかげで、これからの女子アスリート界に多大な力をもたらすことができるよう、私も今以上に切磋琢磨していく覚悟ができました! 近賀選手、有り難う! 頑張るよ!

プロラクロスプレイヤー 山田 幸代


私と同じようにオーストラリアでのプレー経験があって、ラクロス普及のためにさまざまな活動をされている山田さんとゆっくりお話できて、楽しい時間を過ごすことができました。山田さんのラクロスへの思いや、これまでの経験などを伺っていい刺激になりました。このご縁を大切に、女子アスリートの輪を広げて、女子スポーツを盛り上げ、新しいムーブメントを一緒につくっていけたらいいなと思っています。
今年、10年ぶりに日本のリーグに復帰されるとのこと。フィールドでの活躍、応援しています。私も、所属チーム全体の力を押し上げられるよう力を尽くしたいと考えています。お互いに頑張りましょう。これからもよろしくお願いします!

プロサッカープレイヤー 近賀ゆかり

地上最速球技といわれるラクロス。棒の先にネットを張ったスティックを操り、直径6cm、重さ150gの硬いゴムボールを奪い合う競技。特 に男子は激しく相手を叩き合い、接触も激しくその迫力に驚かされる。戦略的なパスワークを生かし、シュートにつなげるチームプレイはサッカーにも似ている。今、2028年のロサンゼルスオリンピックに向けたラクロス普及活動が広まり、 ラクロス人口が日本でも増えつつある。

ラクロスの歴史

ラクロスの始まりは、北 米の先 住民が神聖な儀式として部族間の争いを平和的に解決するもの、競技を通して若者の勇気や忍耐力を鍛えるものとして行わ れていた。19世紀にカナダで新しいラクロスのルールが作られ、その後カナダの国技に認定。男子の競技として広まった後、スコットランドで女子ラクロスが始 まり、ラクロスが世界的に広がっていった。

ルール紹介(2018年現在)

男子ラクロス

  • 1チーム10人構成
  • ヘルメッドなどの防具を着用
  • 試合時間15分×4(クウォーター制)
  • 接触プレイが可能

女子ラクロス

  • 1チーム10人構成
  • アイガードやマウスピースを着用
  • 試合時間15分×4(クウォーター制)
  • 接触プレイは不可
  • 試合開始や再開時はドローという方法をとる

2019年8月 BIRTH LAB(麻布十番髙木ビル1F)にて
Supported by BIRTH 企画・編集:杉山大輔 ライター:楠田尚美 撮影:稲垣茜 

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