山田幸代のhappy対談

Happy対談は、プロラクロスプレイヤー山田幸代がアスリートとして大切にしていることを発信するプラットフォームです。スポーツ界で活躍されている方々にフォーカスし、生き方やHappy哲学について対談を行い、スポーツを通して世の中をどのようにHappyにするかをアスリートと共に考え、発信していきます。

Vol.6

第6回の対談相手は、元サッカー日本代表選手で、2019年11月に現役を引退した佐藤勇人さんです。競技は違いますが、日本代表とオーストラリア代表、世界の舞台で活躍するトッププロスポーツ選手として、共感する部分がたくさんあったようです。2人が目にしたトッププレイヤーの世界とは。

Profile

山田 幸代 (やまだ さちよ)
プロラクロスプレイヤー

1982年生まれ。滋賀県出身。日本初のプロラクロッサー。2007年9月にプロ宣言し、2008年から女子ラクロス界では世界トップクラスのオーストラリアリーグに加入。2016年12月、念願のオーストラリア代表に選出され、2017ワールドカップ、2017ワールドゲームズに出場。ワールドゲームズでは銅メダルを獲得。2013年4月から母校・京都産業大学の広報大使、2014年12月から京都国際観光大使を務めている。

佐藤 勇人(さとう ゆうと)
元プロサッカープレイヤー

1982年生まれ。埼玉県出身。中学時代にジェフユナイテッド市原ジュニアユースに入団。2000年、ジェフユナイテッド市原・千葉のトップチームに加入。2006年、日本代表に選出される。2008年、京都サンガF.C.に移籍、キャプテンを務める。2010年、ジェフユナイテッド市原・千葉に復帰。2019年11月に現役を引退した。現役時代のポジションはミッドフィールダー。2020年、クラブユナイテッドオフィサーに就任し、現在ジェフ千葉を中心に、サッカーをはじめスポーツと地域を繋ぐ活動に力を注いでいる。


双子の兄弟で始めたサッカー

山田:2019年11月24日に引退試合を終えられました。長い間お疲れ様でした。

佐藤:ありがとうございます。

山田:勇人さんは、どんなきっかけでサッカーを始められたんですか?

佐藤:双子の弟がきっかけで始めたんです。弟の寿人がサッカーをしたいと言い出して、親に、「勇人はどうするんだ」と聞かれて、「剣道がしたい」と答えました。剣道って格好いいじゃないですか(笑)。でも、「お前も一緒に行ってこい」と言われました。

山田:兄弟で一緒にボールを蹴りながら登下校していたとか?

佐藤:いつもしていました。2人ともすっかりサッカーにはまってしまい、チームの練習が雨で中止になった日も外でサッカーをしてずぶ濡れになったり、家の中でボールを蹴ってガラスを割ったりしていましたね。下の階の方から苦情を言われたこともあります。

山田:男の子2人ですから、相当賑やかだったでしょうね。

世界の広さを知ったユース時代

山田:これまでのサッカー人生で学んだことや、印象に残っているシーンを教えてください。

佐藤:サッカーを通じて学んだことは、世界の広さです。始めた当初、地元埼玉県春日部市のクラブチームで練習していました。キャプテンを任せてもらったり、選抜戦に選ばれたり、埼玉では割と名前が知られていました。小学5年生のときにJリーグが開幕した影響もあって、いずれはプロサッカー選手になりたいという思いを強く持っていました。中学2年生のときにジェフユナイテッド市原のユースのセレクションを受けたのですが、見事に落ちたんです。思っていた以上にみんなのレベルが高くて、自分が生きてきた世界はすごく狭かった、自分は勘違いしていたんだと思い知らされました。

山田:私も同じような思いをしたことがあります。ラクロスは国内の競技人口が少なくて、今では3万人くらいに増えましたが、私が始めた頃は1万人程度でした。そんな状況の中で大学から始めて日本代表になって、世界大会に出場しました。ところが、世界では私たちのラクロスが全く通用しない。22歳の私はそのとき、勇人さんがおっしゃる世界の広さを知りました。以来、もっと先の世界があることを信じて、ずっと現役を続けています。勇人さんは、子どもの頃から世界の広さを受け止められるほど、心の器が大きくて強いんですね。
私もそうでしたが、自分の小ささと世界の広さを知ることは、かなり大きな衝撃だったんではないでしょうか?

佐藤:おっしゃる通りです。魂が揺さぶられるような猛烈な衝撃でした。しかも、弟だけセレクションに受かったこともあり、自分が井の中の蛙だったと悟ったことに加えて、今まで味わったことのない挫折と失望を感じました。セレクションが終わって自宅に戻る車中、両親と弟が自分に気を遣ってくれている感じとか、地元で待っていてくれた少年団のチームメートや監督、保護者の方々に、自分だけ落ちたと伝えるときとか、本当にヤバかったですね。みんな、「君ら兄弟なら絶対合格するだろう」と送り出してくれていたので、自分だけ期待に応えられなかったという申し訳なさに苛まれました。

山田:そこから、再びチャレンジされたわけですね。

佐藤:セレクションを受ける前よりも、このチームでサッカーがしたい、ジェフのエンブレムをつけたいという気持ちが強くなりましたね。でも、再チャレンジでも落ちてしまったんです。結局はその約半年後、念願のチームに入ることができましたが、全く通用しなくて、周囲との力の差を痛感しました。

両親の支え、仲間の思いを胸に

山田:その力の差を、どのようにして乗り越えられたんでしょうか?

佐藤:弟がセレクションに受かったことで、両親は営んでいたラーメン屋を畳み、自分たちのために千葉に引っ越してくれました。このサポートがなかったら今の自分たちはないと、ときどき兄弟で話しています。

山田:考えられないほどの大きなサポートですね。ご両親の思いを受けて、さらに頑張っていこうと奮起できたんですね。
ジェフの一員になられたとき、どんな目標を掲げて取り組まれましたか?

佐藤:目標はもちろん、プロになることでした。ユースとトップチームの練習場が隣同士なので、「いつか必ずあの場所で練習するんだ」という思いを常に抱いていました。中学生とは言え本当に厳しい世界で、昨日まで一緒に練習していた仲間が、次の日にいないことなんてざらにありました。

山田:リプレイスされるわけですね。

佐藤:はい。学年の節目ごとに、「君はプロになれる可能性は低いから、他の選択をした方がいい。明日から来なくていい」とクビを宣告されます。仲の良かった仲間が足切りされたときは、何とも言えない気持ちになります。自分たち兄弟もいつクビになるか分からない状態の中、続けることが叶わなかった、仲間の悔しさや無念さを強く感じながら練習していました。

山田:中学生の時点ですでに、周囲の評価や期待に応えながらプレーする環境を自分で築き上げ、戦っていかなければいけない舞台にいること自体プロフェッショナルだと思います。
中学1年生から現役を退くまで、戦い続ける精神を継続することは大変だったと思います。戦いの日々を振り返ってみて、「ここは誰にも負けない」と言えることはありますか?

佐藤:プロになるまでには、同じようにプロになりたかった多くの仲間、ライバルを失いました。彼らの分も、生き残った自分がやり遂げないといけないと言い聞かせてきました。だからこそ、誇りと情熱は誰にも負けていないと思います。

日本と世界の大きな違いとは

山田:私は、海外で13年ほどプレーしている中で、国内と海外の違いを強く感じることがあります。勇人さんは、何か違いを感じたことはありますか?

佐藤:自分は試合のとき、いつも対戦相手の目を見ます。Jリーグで対戦する相手と、海外の対戦相手の目は、全然違います。

山田:私も日本代表として10年間プレーしていて、海外の選手の目の違いを感じました。そのとき、世界のトップを知らないと日本を強くできないと思い、オーストラリアに移籍したんです。それから、8年の時間をかけてオーストラリア代表選手になりました。私も1回目は落ちたんですよ。
ご存知ない方が多いのですが、プロスポーツ選手は、代表としてプレーする国を、人生で一度しか変えられません。「オーストラリア代表になります」という宣誓書を書き、トランスファーカードという移籍カードを貰ったら、もう他の国には異動できません。だから、オーストラリア代表になれなかったとしても、日本代表には戻れないんです。私がオーストラリア代表にチャレンジしたいと思ったのは、そこなんです。自分をより上の環境、厳しい環境に置くことで、海外の選手と同じ本気の目になりたい、相手の本気の目を見たいと思いました。

佐藤:プロになることがゴールだと思っていて、プロになった時点で満足している選手がたくさんいますが、そうじゃない。プロになって、周りの方たちに何を返せるかが重要です。そこまで考えている選手がどれだけいるでしょうか。
海外では、親や兄弟を養うために、より良い環境を求めるハングリーな選手がたくさんいます。彼らはサッカーに人生の全てを懸けているんです。

山田:そこが目の違いなんですね。そういうことが若い選手に伝わると、日本のサッカーも変わっていくでしょうね。
これから後進を育成されるにあたり、他に伝えたいことはありますか?

佐藤:みんなミスすることを恐れるので、「ミスは成長への近道だ」と伝えたいですね。ミス=ネガティブという固定概念を取り除いてあげたいと思います。

最高のライバル、最高の親友

山田:セレクションに再びチャレンジしたとき、比較の対象は寿人さんだったと思いますが、そこで感じられた、兄弟での違いはありましたか?

佐藤:2人の一番の違いは性格です。寿人は点を取るフォワードなので、試合やセレクションなどで自分を出すのが得意なんです。自分は守備のミッドフィールダーだったので、弟ほど自分を表現することが得意ではありませんでした。ですから、どのようにプレーを見せたら自分を知ってもらえるかを考えましたね。

山田:兄弟で比較されることはありましたか?

佐藤:学校で、「弟は頑張って宿題やってくるのに、兄のお前はなんでやらないんだ」と勉強で比較されることが多かったですね。サッカーではポジションが違うので、比較されることはあまりなかったです。

山田:逆に見えますけれど(笑)。

佐藤:そうなんですよ!

山田:私は3姉妹で、姉は料理人、私はアスリート、妹は美容師とバラバラなので、比較することも喧嘩することもあまりありませんでした。
勇人さんは、悩みを打ち明ける相手は弟さんですか?

佐藤:寿人とはいろいろな話をしますね。小さい頃から自分のことを全部知っているのは弟なので、苦しいときや、移籍で悩んだときも、まず彼に相談しました。彼も、そういうときは自分に話をしてくれました。何か言葉がほしいというより、「俺のこと良く知っているだろ。だからちょっと聞いてくれよ」「聞くだけでいいのか?」そんな感覚ですね。

山田:別々のチームになったときでも、一番のチームメートだったんでしょうね。

佐藤:弟はプロに入って3年目に、大阪のチームにレンタル移籍したんです。レンタル移籍は、戦力として見られていないということなので、自分が生き残らなかったら、佐藤兄弟は何も残せなかったことになります。それが嫌で、彼の背番号をつけさせてほしいと、クラブに頼んだことがあります。

山田:良きライバルであり、良き親友でもあるんですね。

最も光輝いたハッピーゾーン

山田:今までのサッカー人生の中で、光り輝くスポット、サッカーにおける佐藤さんのハッピーゾーンはどんなときでしたか?

佐藤:初の日本一タイトルを、苦しんだ末に全員で勝ち取った瞬間です。千葉のチームは、それまでタイトルを取ったことがありませんでした。ジェフがまだ弱い時代から見守ってくれたサポーターや、選手を支えてくれた家族や恋人、支援してくださったスポンサー、そういう全ての人たちの思いが初めて実った瞬間でした。スタンドを見渡したときの光景と歓声は、今でも忘れられません。喜んでくれている皆さんの姿を見て、鳥肌が立ちました。

山田:そのハッピーゾーンは一生ものですね。

佐藤:プレーしている選手だけじゃなく、周囲の人たちも選手と同じ感覚になれることがスポーツの一番の良さであり、素晴らしさです。サッカーに限らず、スポーツの素晴らしさをもっと子どもたちに知ってもらいたいですね。ボールを蹴ることがサッカーではなくて、チームメートがいて、対戦チームがいて、ライバルがいて、さまざまな人間関係があってサッカーというスポーツが存在する。そこには喜びや悲しみ、たくさん得るものがあります。自分と弟で、そうしたスポーツの真の良さを、日本の子どもたちに伝えたいと思います。

山田:その思いに共感します。どんなスポーツでもいい、いろいろなスポーツそれぞれの良さを知ってもらえれば、体を動かす喜びや、多くの経験をするチャンスが増えます。日本の「体育」が、スポーツの原点である楽しさを伝え忘れてしまっている部分もあると思うんです。私も子でもたちにスポーツの素晴らしさを知ってもらいたいと思っている一人なので、何かできることがあったらご一緒したいです。

佐藤:はい、是非よろしくお願いします!

Message

佐藤勇人さん、対談の機会をいただきありがとうございました。 佐藤さんが対戦相手の「目」を見ること、相手を「本気の目」にさせて戦う難しさについて語られた話に共感を抱きました。私自身、現役プレイヤーとして本気の「目」でありたい。コーチとして学生の「本気の目」を養いたい。そして、何より子どもたちがスポーツに取り組むときの、あのキラキラ輝いている「目」を大切にし、大きく育てられる社会にしたいと感じました。 競技は違いますが、次代を担う子どもたちの育成を一緒にできたら嬉しいです!

プロラクロスプレイヤー 山田 幸代


初対面の山田さんと、挨拶をしてすぐに対談が始まりましたが、話題は尽きることがなく、話し足りないくらいでした(笑)。サッカーとラクロスという違うスポーツなのに、お互いに共感することもあれば、違う競技ならではの新鮮な発見がありました。山田さんには挑戦することの重要さと、スポーツの魅力を国内外に伝える力を感じさせてもらいました。 これから今まで以上にラクロスの魅力が日本中に広がり、世界との熱い戦いを目にする日が来てほしい。そのときは、山田さんが日本代表を指揮している姿が見たいです!

元プロサッカープレイヤー 佐藤 勇人

地上最速球技といわれるラクロス。棒の先にネットを張ったスティックを操り、直径6cm、重さ150gの硬いゴムボールを奪い合う競技。特 に男子は激しく相手を叩き合い、接触も激しくその迫力に驚かされる。戦略的なパスワークを生かし、シュートにつなげるチームプレイはサッカーにも似ている。今、2028年のロサンゼルスオリンピックに向けたラクロス普及活動が広まり、 ラクロス人口が日本でも増えつつある。

ラクロスの歴史

ラクロスの始まりは、北 米の先 住民が神聖な儀式として部族間の争いを平和的に解決するもの、競技を通して若者の勇気や忍耐力を鍛えるものとして行わ れていた。19世紀にカナダで新しいラクロスのルールが作られ、その後カナダの国技に認定。男子の競技として広まった後、スコットランドで女子ラクロスが始 まり、ラクロスが世界的に広がっていった。

ルール紹介(2018年現在)

男子ラクロス

  • 1チーム10人構成
  • ヘルメッドなどの防具を着用
  • 試合時間15分×4(クウォーター制)
  • 接触プレイが可能

女子ラクロス

  • 1チーム10人構成
  • アイガードやマウスピースを着用
  • 試合時間15分×4(クウォーター制)
  • 接触プレイは不可
  • 試合開始や再開時はドローという方法をとる

人とつながること、それが不動産業。
人から人へ、架け橋となるような仕事をしたい。
BIRTH代表 / 株式会社髙木ビル代表取締役 髙木秀邦

BIRTH BIRTH

2020年2月 BIRTH AZABU-JUBAN(麻布十番髙木ビル8F)にて
Supported by BIRTH 企画・編集:杉山大輔 ライター:朝比奈美保 撮影:稲垣茜

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